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桜天神社の由来

桜通りの名前の由来ともなっている

 桜花山霊岳院、桜天満宮は社伝によると織田信長の父、織田信秀は深く北野天満宮を信仰し参詣しました。
 ある夜、夢枕に菅原道真公がたち「私は、北野天満宮の梅松院にいるので、そなたが住む国に祀りなさい。町民の安全を守るので」と告げられました。信秀はすぐ上京して其旨を語ると梅松院の僧も前夜に見た夢に尾張の国より我を迎える人が来ると告げられました。
 この寺の霊宝にある自作の菅原道真公の神像を渡し、天文7年(1538年)祠に安置し、天文9年(1540年)現在地に移し社を創建しました。
 当時このあたりは、芳野桜の名所であり、「桜の園」「小桜町」とも呼ばれ、神社の御神木に桜の大樹がある故に、桜天神・桜天満宮とも言われました。
 現在の桜天神が面している「桜通り」は、昔、桜の町筋であったことと、桜天神社の桜の大樹の御神木があったことにちなんで、公募により名付けられました。
 御祭神菅原道真公がすぐれた学者・詩人で書もよくした清潔な人柄であったからこそ、学童の守り神として、受験生、新入学時の祈願や資格・合格祈願で賑わっています。

菅原道真公について

受験生の守り神

 菅原道真公は、八四五年、代々文章博士をつとめる学者の家に生まれました。
文章博士というのは、漢詩文や歴史をおしえる学者です。
家柄のよさと、もって生まれた才能で、道真公は早くから認められ、三十五歳のときに父のあとを継いで文章博士になりました。
 学者としてだけでなく、政治家としても優れていたため天皇から信頼されて高い位につきましたが、かえってそれがわざわいして九州に追われることになってしまいました。醍醐天皇をやめさせ、道真公の娘を妻としてむかえたと斉世親王を天皇の位につけようとした、これが道真公にかせられた罪です。道真公はおどろいて天皇に訴えましたが聞き入れられませんでした。
 はなやかな都で最高の貴族として暮らしていたのが、見に覚えのない罪をきせられ、遠く太宰府に追いやられるのですから、道真公の悔しさはいっぱいであったに違いありません。太宰府では権師という位でしたが、名前だけで仕事らしいことはひとつもありませんでした。そのうえ道真公の住まいと決められた榎寺は、雨がもり、壁のおちた粗末なところだったといいます。また書物を読むための灯火の油もろくに買えないほどの貧しい暮らしでした。それでも、だれを恨むこともなく、天拝山にのぼり、国の安泰を祈り続けたと伝えられています。
 道真公は京を追われてから二年後の九○三年、五十九歳でこの世を去りました。

天神様と牛

天神様のお使いといわれている

撫で牛(なでうし)

天神様のお使いとされることから、頭をなでると頭が良くなり、又自分の体の悪い場所をなでたあと、なで牛の同じ場所をなでると、悪い場所が治ると言われています。

 菅原道真公に付随するものに牛と梅があります。
 牛の伝説としては、寛平五年九月に公が北山に茸狩に行かれた時、飼い主のない二歳ばかりの白牛が公を慕ってくるので憐れに思われて、『孔子は狩りで麒麟を得、われその器に非ざるも天の賜うところのこの白牛を長く愛用せん』と言われました。
 これより、この白牛は公の乗興車を引く専任の牛に使用されたのであります。
 公が晩年太宰府に移られてからも常に愛用され、榎寺で傲倨されると公の霊柩をこの牛に乗せ現在の太宰府天満宮のところまできたが足を折って進まなくなったので、やむなく「公の神魂を此の地に埋葬すべし」との神の暗示として此処に葬リ奉った。
この牛こそ例の白牛であったと伝えられています。

「願の水の牛」のいわれ

水をかけると願いが叶う

願の水の牛

京都北野天満宮三詣での人々の伝承によれば、この牛に自分の年の数だけ柄杓で水をかけ願い事をすればその願いがかなうと言われています。
又、この水で字を書くと上手に書けるとも言われています。

年の数え方十才迄はその年の数だけ、十才以上は十才を一杯として加えます。
(例)
7才…7杯
18才…1+8=9杯
22才…2+2=4杯

願の水の牛

鷽(うそ)と天神様の井戸

開運縁起の鳥、学び鳥

 鷽(うそ)という鳥は天神様が愛した梅の木の実を好んで来ること、又、道真公が大宰府へ流される海上で遭難しかかった時、鷽鳥が船の舳先で先導して、危難を逃れたという伝説から、開運縁起の鳥として、天神様では梅と牛と共に欠かせない三名物となっています。
桜天神では、初天神に大正4年から行われている「うそ替え」の神事があります。
1年の災いを幸せに替えると共に、去年のうそ(噓)を神前で誠に取り替える神事であります。
桜天神の鷽は、土焼きの生地に美しく彩色し、腹面に、その年の干支が刻まれていて、郷土玩具の逸品とされています。
最近では天神様が学問の神様であり「鷽」という文字が「学びとり(とり)」と読めることから、受験生のマスコットともなっています。
「桜の井戸」とも言われ、慶長年間(1610年頃)加藤清正が名古屋城の築城を指揮した時、境内に本陣を置き、飲料水を得るため掘った井戸だと伝えられています。
水質が軽くて柔らかいことから、その後も長く愛飲されてきました。
特に名古屋は茶所と言われる土地柄から、茶の湯に最適の井戸として、大須の「柳の井戸」、清水の「弘法の井戸」と並び、名古屋の三名水の1つに数えられ、茶好きの人々に珍重されてきました。

受験生のお守りとして
受付10時~15時

カバンやバッグにも付けられます。色2種:ピンク・グリーン

新合格お守

カバンやバッグにも付けられます。色2種:ピンク・グリーン
お財布や手帳に入れて…

カード

お財布や手帳に入れて…
願い事を書いて…

大絵馬

願い事を書いて…

お気軽に御参加!!

主な年中神事
1月1日元旦祭
1月25日初天神「うそ替え神事」
10時~ 当日受付も可能です
3月24~25日春の大祭(献茶祭)
・「献茶祭」松尾流家元 松尾宗倫宗匠
・「お茶会」表千家 吉田生風庵宗匠 隔年交互奉仕
≫10時~15時当日の御参加も可能です
7月7日七夕まつり(小学校児童参加)
9月24~25日秋の大祭(成人献書の展示)
12月25日大祓
主な年中神事
1月1日 元旦祭

1月25日

  • 初天神「うそ替え神事」
  • 10時~ 当日受付も可能です

3月24~25日

  • 春の大祭(献茶祭)
  • 「献茶祭」・松尾流家元 松尾宗倫宗匠
  • 「お茶会」・表千家 吉田生風庵宗匠 隔年交互奉仕
  • ≫10時~15時当日の御参加も可能です

7月7日

  • 七夕まつり
    (小学校児童参加)

9月24~25日

  • 秋の大祭(成人献書の展示)
12月25日 大祓
天神さまと鷽(うそ)

愛知県名古屋市中区錦二丁目4番6号
TEL:052-231-4879
FAX:052-231-4898
開門時間 朝7時~日の入り頃迄
受付時間 10時~15時迄

・地下鉄桜通線 丸の内駅5番出口東へ100m(南側)
・市バス桜通本町前